ダイヤモンドの巻き方はこうして誕生した

ある日、「今度『ダイヤモンド』ができたから来たいよ」と連絡が来ました。

いそいそと東金行のバスに乗り、台方の停車場で下車し迎えの方の案内で木村家に伺いました。 その頃は千葉も東京に負けない「ダイヤモンド」ブームでした。巷は、猫も杓子も金色夜叉…ではないが、外商にすすめられてダイヤの指輪が流行していました。 そこで、木村家に集まっていた方達から聞いた言葉が「貫一、お宮の話ではないけれども、私らだってダイヤモンドが欲しいさ」というわけでご亭主にダイアモンドの指輪をねだったそうです。

ところが猛反対、そんなものを指にはめて仕事ができるかッ! そこで口惜しいから「このダイヤモンドを考えたんですよ」というわけで、作り方を教わりましたが、その発想には<びっくり仰天!>当時の私は全くの素人ですから、う~んと唸るばかり。つまり言葉にならないほどの驚きでした。「おばあさん、スッゴーイ」

以来、太巻きの図柄を考える方々には、限りなき尊敬の念を抱いております。


ふと思ったことは、これは子供のころ学校で「幾何」の学習をしっかりされた結果だと思うのです。私の女学生時代は3年生から学徒動員で現在の蘇我の海岸にあった日立航空機(株)の工場で飛行機の機体の組み立てに従事していましたので数学の力はかなり弱く、記憶では「幾何」はほとんど学習していません。 ところが、太巻きずしの取材をしていて常に感じることは「立体的」な発想が多く、今流のコトバだとスゴイことだらけ。よくも考えたものだと驚きの連鎖だったのです。 というわけで少女時代に培われた教養は、老人になってからも、十分に活かされているという例の一つです。

ちなみに私の得意な学科は地理と歴史で、その筋の本はずいぶん読んでいるつもりですが、悲しいかなこれを太巻きずしに活かせる文様はまだありません。


私の小学校の担任であった田畑先生は、こう言われました。「あなたは、米は八十八と書くでしょう?つまり種籾を撒いてから、収穫まで八十八回の手間がかかっているということなのです。 そのようにして収穫して、かわいい米を最後に立派な形にして人々に供する。それは『つまり農民のやさしさ』が、この太巻きずしなのよ」

これは電話のやりとりの中での、何気ない会話でしたが私にとりましてはまさに金言でした。著書「楽しく作る祭りずし」発行直後の会話より。

※まだ、農耕用の機械が普及していなかった頃のことです