千葉市は軍用地で県庁こそありましたが、文化としての痕跡の少ない街で、農地と漁師町の一部にわずかな「生活文化の匂い」を感ずることができた市です。
空襲の都度、防空壕の中で食べた「非常食」も、都市部住居の学生と市街地住居の学生では全く違いました。農家の子女たちは、大きなお握りをもってきていたものも多く、私はその大きさに驚くと同時に「ご飯」に対する羨望を隠せませんでした。
ましてや「腹っぺらし学生」の私が、将来「米の消費拡大事業の一端を担う」などとは想像だに及びませんでした。戦時中はこの『太巻きずし』は無かった筈で、戦後の産物だと思うのですが、詳細は不明な食文化だと思います。
しかし「米を腹いっぱい食べたい」という欲望が生んだ結果には違いないと思います。
幸い沿岸の海からは美味しい海苔が、田圃からは良質の米が、大地からは豊富な野菜が。恵まれた土地柄が生み出した「房総の太巻きずし」は農民達の努力の結晶として評価したいと思います。
これを千葉県農民の誇れる食文化として継承していくことが、私たち県民に、課せられた使命と思い(少し大げさかな??)千葉伝統郷土料理研究会を立上げ、今日にいたりました。
会の設立は古く1982年(昭和57年)。私の取材はもっと古く1957年(昭和32年)頃からですから通年65年間の《太巻き付き合い》となりました。
この度、若い会員の努力でホームページを立ち上げるチャンスが生まれ、これを期に《千葉県の農民文化》として、つたない記録を紹介しておこうと考え、取材の記録をまとめました。できるだけ古い手紙、メモ類を引っ張り出して綴ったものですが、文才ゼロの私に免じてご寛容のほどを。(決して嘘、誇張ではありません。それだけに大したものでもないです。)
文末になりますが、丁寧に何回も教えてくださった先人たちに敬意を表し、食を文化としての位置づけして下さった方々に心より感謝申し上げます。