その他、耳にしたこと

県内のあちらこちらに取材、講演、調査などに行くといろいろなことに出会います。 太巻きずしに関する話もときには耳にし、特に印象に残った話もあります。 それらの中から

1.大原の在方での米にまつわる話

戦中も戦後も米の統制が厳しく、生産者でありながら「米」では苦労をした。 親戚、子供にすら届けられなかったそうで、飯の形で手ぬぐいで作った袋に入れて届けたそうです。 また、この頃は「太巻きずし」は作られていなかったようです。

では、いつ頃から作られたか。それは「不明」でした。米に対する政府への警戒心が薄れてからの産物と思われ、そして「すだれ」は父ちゃんの自家製であったとか。

2.米は天井裏に、少しずつ隠したそうで、ただしネズミの害があるので「容器」にはとても苦労をしたとか。らっきょうを漬けるカメに入れて、床下に転がしておいた。という話も聞きました。 (らっきょう漬けのカメは口が小さく米を出し難いのですが、監視員の目を欺くのには格好の容器であったそうです。

房州はらっきょうの生産地で、当時の農家の縁の下には「らっきょう瓶」がごろごろ転がっていました。取材で食べさせて頂いたこともありますが、素朴でおいしいものでした。思い出の味のひとつです。

3.にぎり飯にして、竹皮に包み親戚に届けた。はこぶ途中で没収されたこともある。

戦後の食べ物に対する苦労を思い出させる話が多く、感無量な会話に花が咲いたひとときでした。