いつ頃から世の中に出たのか(出版界へのデビュー)

少しばかりこの太巻きずしが広がり始めたころ、昭和50年(1975年)は県内でも数か所の農家の間では、盛んに太巻きずしが作られていました。

山武郡はもとより君津郡、市原郡、匝瑳郡、安房郡、千葉県の東南部から南部にかけては【太巻き】のメッカだったと思います。どこへ行っても「もてなし」は太巻きずしばかり。 それも甘辛く煮た「干瓢」と「赤でんぶ」そして「茹でたホウレンソウ」。海苔もやや下級品でしたから、お世辞にもオイシイとは思いませんでしたが、 唯一巻きこまれていた文様には、惹かれるものがあったのです。 それも現在の文様に比べたら、まことに単純なものばかりでした。「チューリップ=基本の花」の全盛期と言えましょう。 当時、千葉市内の某婦人会からの依頼で「チューリップを教えてください」という依頼があり瞬間、戸惑いました。 これを助けてくれたのが婚家の姑でした。姑はチューリップしか巻きませんでしたが、丁寧に教えてくださいました。3~4本巻いたと記憶していますが要領を覚えたものですから、ずうずうしくも指導に行ったものです。 今にして思えば冷汗三斗つまり[冷や汗もの]ですが、当時としては難関を突破できたもので、時代の違いを感じます。

※ 基本の花はムズカシイ手法なのです。これが完全に「マスター」できませんと、次にすすめません。しっかり覚えてください。

そうこうしているうちに、私が千葉県の名物「太巻きずし」に現を抜かしていることが某出版社の知るところとなり、昭和60年(1985年)6月に【楽しくつくる祭りずし】として全国学校給食協会から発行されました。 1冊1500円でしたが、飛ぶように売れたことを記憶しております。なお伝えておくべきことは、1部の収益を千葉県栄養士会に寄付し、学会開催の一助になったことですが、これの記録はなぜか残っておりません。

※ 当時の栄養士会の事務局員として勤めておられた故長房(旧姓 宮田)氏の大きい努力によるもので、終生忘れられない事実です。 このような卒業生の方々の大きい努力のお陰で著書は売れ、同時に房総の太巻きずしは全国的に多くの人々が知るところとなり、各地から技術指導の依頼が増え、多忙な日々が訪れたのです。 特筆すべきは「大きなイベント参加」への件数増加で、お陰で都度、技術も上がり自称名人がたくさん存在しています(笑)